乃木坂のTOTOギャラリー・間で28日から「WARO KISHI 岸 和郎:京都に還る_home away from home」が開催される。前日の内覧会を見学。
展覧会タイトルの"home away from home"とは、遠く離れた第二の故郷、心のふるさとという意。東京と並んで岸和郎+ケイ・アソシエイツの本社をおき、長らく活動の基盤としてきた京都での仕事をメインに、建築家であり、35年にわたって教育者の顔ももつ、岸氏のこれまでの仕事と現在進行形のプロジェクトを紹介。ギャラ間での個展は2000年開催の「PROJECTed Realities」以来。
3階展示のタイトルは「大学での仕事」。岸氏は1981年から3つの大学(うち1つの当時の名称は短期大学)で教鞭を執った。
手前の台:1982年竣工《京都芸術短期大学 高原校舎》の展示。
当時の図面はドラフターによる手書きで、図面は青焼きでコピーされた。
現在は名称が変わり、京都造形芸術大学映画学科が入っている。上の画・奥の展示は映像がモチーフにいる。
現在は名称が変わり、京都造形芸術大学映画学科が入っている。上の画・奥の展示は映像がモチーフにいる。
1993年度 第五回日本建築家協会学会新人賞を受賞した《日本橋の家》の図面も鉛筆書き。受付側の壁から時計まわりに《下鴨の家》、《堺の家》、《和歌山の家》の展示が続く。
3Fフロア中央の台:《KIT HOUSE》の模型。切妻屋根とキャンティレバーを支える構造が一体となっている(構造設計:安井建築設計事務所、参考:同社作品アーカイブ)。京都工業繊維大学の学生ホールであり、氏が在籍した最終年3月の竣工。
内覧会のプレスツアーの際、岸氏が「キャンパス内の敷地にも関わらず景観条例の規定を受けてとても大変だった」と振り返った、2014年《京都大学北部グラウンド運動部部室棟》。 同大学は岸氏の母校。2010年から教壇に立ち、今年3月に退官する。29日に都内で開催される本展関連講演会が教師・岸和郎の"最終講義"となる。
このほか3Fの展示では、3大学の現在の様子を伝えるムービー作品も上映中 (制作:市川靖史 / 註.目黒区美術館《村野藤吾の建築 模型が語る豊穣な世界》のフライヤーの写真撮影者)。
「この展覧会は私自身の展覧会であると同時に、私に関わった人達の協働の成果でもある」(岸氏寄稿の序文より)
このほか3Fの展示では、3大学の現在の様子を伝えるムービー作品も上映中 (制作:市川靖史 / 註.目黒区美術館《村野藤吾の建築 模型が語る豊穣な世界》のフライヤーの写真撮影者)。
「この展覧会は私自身の展覧会であると同時に、私に関わった人達の協働の成果でもある」(岸氏寄稿の序文より)
京都工繊大の同僚で、現在は京都造形大教授の建築家の城戸崎和佐氏がデザインしたベンチ(城戸崎研は前述・高原校舎の展示でも、大阪工業大学朽木研と共に協力している)に腰掛けて眺めることを勧められた中庭の展示は、岸氏の「京都周辺の作品」を一望できる。縦横に線が入った白い基盤は京の都を表しており、一帯の21作品がマッピングされている。ベンチが京都駅、向かって右奥の石のオブジェが比叡山という見立て。
グリッドの赤い線は地下鉄、中央の緑は京都御所を表す。上の画・手前のミニチュア模型は大徳寺門前に建つ《紫野紫野和久傳》。本展の序文で岸氏が「京都に還ろう、と決めた」最後の決心がついた作品であると位置づけている作品(その背景は後述)。
中庭の展示のキューブはガラスとアクリル、またはアルミニウムの模型。「京都など有名な観光地のお土産っぽくした」とのこと。上の画・手前の作品名は《AUTO LAB》。
滋賀県の展示3作品のひとつ、2003年の《東大津の家》。
プレカンの席上、岸氏は本展のタイトルに込められた想いを次のように語った。
「京都という街は、大学や事務所を出るとすぐ目の前に国宝や重要文化財の寺社が立ち並び、自分の建築はなんてちっぽけなんだと思ってしまう。ゆえにいかに"京都"に縛られずに自分の作品をつくっていくかを考え、できる限り京都から距離をおこうとした。だがそんなある日、欧州の建築家たちから《日本橋の家》を『日本的だ』と評価され、愕然とした。いったいどこが日本的なのかと悩み、七転八倒していた90年代の半ば、大徳寺真珠庵から《紫野和久傳》のオファーを受ける。施工は中村外二工務店(註.京都を代表する数寄屋建築で有名、後に《京都迎賓館》も担当)。このときの仕事を経て、ようやく"京都に還ろう"という決心がついた」
「京都という街は、大学や事務所を出るとすぐ目の前に国宝や重要文化財の寺社が立ち並び、自分の建築はなんてちっぽけなんだと思ってしまう。ゆえにいかに"京都"に縛られずに自分の作品をつくっていくかを考え、できる限り京都から距離をおこうとした。だがそんなある日、欧州の建築家たちから《日本橋の家》を『日本的だ』と評価され、愕然とした。いったいどこが日本的なのかと悩み、七転八倒していた90年代の半ば、大徳寺真珠庵から《紫野和久傳》のオファーを受ける。施工は中村外二工務店(註.京都を代表する数寄屋建築で有名、後に《京都迎賓館》も担当)。このときの仕事を経て、ようやく"京都に還ろう"という決心がついた」
4Fは「最近の仕事」と題した展示。ガラス扉と壁に、京都と東京の街並をモノクロで出力した透光シートがボーダー状に貼られている。
岸和郎+ケイ・アソシエイツは現在、東京三田と京都に本社をおく。
4Fはピンクのカーテンで緩やかに仕切られ、向かって左の壁に岸氏がイタリア、フランス、アジア各国を旅した先々で撮影の35mmのポジ。右は模型とドローイングなど。奥では立礼式の茶会が行なわれている最中(註.内覧会時に特別に開催されたもの)。
薄紅色のカーテンには正方形の角孔が開いてレイヤー状になっており、風に揺れた具合や見る角度によって、向こう側の景色が微妙に変化する。
「テキスタイルウォール」の制作を依頼したのは、工繊大の教え子にあたる森山 茜氏。
上の画・展示台の模型、手前右側から時計まわりに、2009《Tearoom project in the center of Tokyo》、2010《福山田島プロジェクト》、2014《House near Yoyogi Park》。
プロポーザルに提出した「京都市美術館新館計画案」の模型。
中庭・ガラス壁側の展示台の平面図の上で端末を動かすと、任意に切りとられた断面がモニターに表示される(仮想立体モデル再現ソフトDESKRAMA制作および展示協力:竹中工務店)。
中庭・ガラス壁側の展示台の平面図の上で端末を動かすと、任意に切りとられた断面がモニターに表示される(仮想立体モデル再現ソフトDESKRAMA制作および展示協力:竹中工務店)。
訴求ポイントだった地下空間をよく見て欲しいという展示。
壁面の展示・右から、2001年《六甲山の家》、2003年《K邸別邸》、フライヤーの表紙になっている2002年竣工《Hu-tong House》のドローイングが続く。模型は上海の最新PJ「Warehouse renovation at Minsheng-road」を含む。
4F展示の最深部に設けられた立礼の席。卓と椅子は(実は茶道は習ったことがないと吐露した)岸氏がデザインしたもので、壁面のグラフィックとあわせて、某所にある空間を再現している。茶釜などの道具類は、本展にあわせて亭主(芳心会主宰 木村宗慎氏)が用意した。
京都をテーマに、会期中に開催されるギャラリートークの講師陣が、茶道の木村氏、中村外ニ工務店の中村代表など実に多彩(申し込み多数につき全5回全て受付終了)。
TOTOギャラリー・間「WARO KISHI 岸 和郎:京都に還る_home away from home」は3月20日まで。休館は月曜・祝日(2月11日のみ)。開廊は11-18時、入場無料。
TOTOギャラリー・間
www.toto.co.jp/gallerma/
TOTOギャラリー・間「WARO KISHI 岸 和郎:京都に還る_home away from home」は3月20日まで。休館は月曜・祝日(2月11日のみ)。開廊は11-18時、入場無料。
TOTOギャラリー・間
www.toto.co.jp/gallerma/
+飲食のメモ。
内覧会では特別に、木村氏の手前で茶がふるまわれた。美しい一連の所作に魅入る。
客によって水色、白、ピンクなどの色とかたちも違った和菓子はリキュール入り。
内覧会では特別に、木村氏の手前で茶がふるまわれた。美しい一連の所作に魅入る。
客によって水色、白、ピンクなどの色とかたちも違った和菓子はリキュール入り。
美味しく頂戴しました。ごちそうさまでした。